
新型コロナでソロキャンプが流行ったこともあって、今はちょっとしたバイクブームだ。
1980年代後半~1990年前半にかけてのバイクブームほどではないが、若者がバイクに回帰してきたのは素直に喜ばしい。
以前は高速のSA/PAや道の駅に止まっているバイクはオジサンばっかりだったが、今は20代と思わしき若者も割と見かけるようになってきた。
SNSでもバイク関連の投稿は非常に多いが、それによって増えているのが「服装警察」による余計な忠告だ。
楽しいコミュニケーションに水を差す「服装警察」
お気に入りのバイクやファッションをSNSに上げて共感を得るのは今風のバイクの楽しみ方の一つだろう。
SNSで承認欲求を満たすことは悪いことではない。
誰だって他人に褒められたり、「カッコイイ」「素敵」「カワイイ」と言われるのは嬉しいものだ。
そう言ってもらいたくてSNSに上げているのに、
と言った辛辣なコメントを書き込む輩が少なくない。
最近、バイク界隈で目に余る「服装警察」だ。
正しいことをしていると思い込んでいる「誤った正義感」
こういうコメントをする人は、往々にして誤った正義感を持つ人が多い。
と考えるわけだ。
服装警察は、新型コロナのときに湧いて出た自粛警察と基本的に同じ人達だ。
恐らく、今まで真面目に生きてきた人達なのだろう。
ルールを守り、必要以上に社会マナーを遵守してきたのだろう。
と考えてしまうのだ。
しかし、Tシャツでバイクに乗ろうがビーチサンダルでスクーターに乗ろうが、それ自体は違法ではない。
僕も心の中では「短パンでバイク乗るとかアホちゃうか?」とは思っているが、だからと言ってそれを注意しようとしたり、他人のSNSにわざわざ書き込もうとは思わない。
服装警察は「正義感の押し付け」に過ぎないのだ。
その「押しつけの正義」によって相手が謝れば、彼らの溜飲が下がって正義感が満たされるわけだ。
SNSにはそういった「歪んだ正義感」に溢れている。
正義マンと揶揄されても仕方がない。
SNSにはいいことしか書かないのが無難
SNSなんて承認欲求を満たすツールに過ぎないのだから、お互いに「いいこと」しか書かないことにすれば、お互いにハッピーになれる。
上の例で言えば、「バイクにTシャツなんてけしからん」と思ったとしても、そのこと自体は違法でも何でもないのだからスルーすればいいのだ。
投稿者は批判コメントが欲しいのではなく、共感が欲しいのだ。
だから、自分が気に入らない投稿は「スルー」すればいい。
「自分が教えてやらなければ」なんてチープな正義感は捨てるに限る。
これは、コンビニで不快な店員に当たったときでも同じだ。
変な正義感を持っていると「自分がクレームするのは、この店員の将来のためなのだ」と歪んで認知してしまう。
そもそも、コンビニにいいサービスは期待するほうが間違っているし、きっとその店員はあなた以外の接客も悪くて、あなた以外からもクレームが上がっているはずだ。
バイクの話に戻そう。
バイクに乗ること、それ自体は自己責任だ。
本人が良ければ、どんな服装で乗ろうが他人がとやかく言うことではない。
Tシャツでバイクに乗るのは安全ではないのは確かだし、僕もそう思う。
でもそれは心の中で思っていればいいだけで、他人にその考えを強要する権利はないのだ。
だって、あなたも他人にとやかく言われたくないでしょ?



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