
最近はドライブレコーダーの装着率が増えたこともあって、SNSで事故動画を目にすることが増えたように感じる。
煽り運転や右直事故の映像をよく見かけるけど、それを見て思うのが、
というケースが結構多い。
例えば、右折時に右前から直進してくる自転車との右直事故。
歩行者信号が赤信号なので完全に自転車が悪いのだけど、運転席からは自転車は見えているので、個人的には
と予見できるケースだと思う。
しかし投稿主は
というスタンスで、コメント欄も投稿主に同情的なコメントが7割ぐらい、批判的なコメントが2~3割といった感じだった。
僕にしてみれば、同情的なコメントが大半を占めていたのが意外に感じた。
「権利」重視の思考が危険な理由とは
コメントを読んでいくと、投稿主に同情的なコメントが多い理由が見えてくる。
要するに、自動車(投稿主)は信号の指示通りの運転をしており自転車は信号無視をしている、むしろ自動車側のほうが被害者である、という思考の人が多いのだ。
自動車は信号を遵守しているので「右折する権利」があり、その権利を侵した自転車側が悪いのだ、という考えである。
投稿主や同情コメントしている人達の主張は
・信号を信じて右折したのに、自動車の過失を問われるのは納得いかない
である。
この事故の警察の事故検分や保険会社の査定がどうだったのかはわからないが、恐らく自動車側の過失がゼロということは無かったと推測する。
ドライバーには「予測可能性」が問われる
右折専用信号が出ていることは、確かに「車両は進んで良い」という強い権限を意味する。
しかし、これは同時に「進む前に、危険がないかを最終的に確認する義務がある」という前提の上に成り立っている。
歩行者信号が赤でも、中には信号を無視して走り出す自転車や歩行者がいる可能性は、社会の現実として十分に予測できる、とされており、裁判などでは、この「予測可能性」が重要視される。
たとえ相手が明らかにルール違反をしていても、ドライバーには「予期せぬ事態に対処できる速度で進行し、危険を察知したら回避する」という義務が課せられている。
例えば、直進しているとき、見通しの悪い側道から「止まれ」を無視した車両が飛び出して車両側面に衝突された場合などは、これは「予測可能性」がかなり少なく評価されるだろう。
予測可能性=「かもしれない運転」
自動車教習所や免許更新時の講習でさかんに言われる「かもしれない運転」は、この予測可能性に備えた運転であり、自衛のための運転である。
このケースだと、相手の動きを予見し、自身の右折する権利を多少抑えて事故を回避した方が、お互いにイヤな思いをせずに済む。
投稿主の運転は、「右折矢印が出ているので、自転車が赤信号で渡るはずがない」と決めつけているようにも見える。
運転経験が不足しているといえばそれまでだが、自転車や歩行者が起こす特性を予見した運転が出来ていないようにも見える。

権利を主張することは正しいが…
道路は道路交通法という法律で規制され、あらゆる車両、歩行者はこの法律によって規制される。
この前提で道路の秩序は保たれているのだが、運転するのは人間で、人間はミスをする動物である。
故意・過失に関わらず、ルールを逸脱することが時折起きるのが道路交通だ。
こういった中で事故を回避するには、全ての車両が交通ルールを遵守するのは当然だが、自分以外の車両、歩行者が
と考えることが事故への備えになる。
「かもしれない運転」は全ての事故を回避できるわけではないが、その意識を持つことで事故の大きさを軽減できたり、ヒヤリハットを極限まで減らせる効果がある。




コメント