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無事故で過ごしたいなら運転に対する考え方を変えるべき

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バイクであれ車であれ、公道を走っている限りは常に事故のリスクがつきまとう。

よく「運転がうまい」「運転がヘタ」と言うが、パイロンスラロームや車庫入れが上手ければ事故に遭わないのであろうか。

速くコーナーを抜けられる、車やバイクの性能を限界まで引き出せる、といった者は事故を避けるのも上手いのであろうか。

卓越した運転技術か。高性能なプロテクターか。ABSを標準装備した車両か。

どれも違う。

必要なのは事故を呼び込まないマインド(考え方)である。

今回は、僕自身が今まで実践してきた事故に遭わないためのマインドと、イライラしたときの鎮め方について紹介する。

気の持ちよう一つでイライラがスッと鎮まるようになる。

10代の頃のメンタリティ

僕は16歳のときに原付免許、17歳のときに小型二輪、18歳のときに中型二輪と普通免許、19歳のときに大型二輪を取得した。

特に16歳~18歳のときは、同級生が自転車で通学しているときに既に免許を取得してバイク通学していたこともあって、自分では「同年代では運転が上手い」と思っていた。

単に免許取ったのが周囲より早かっただけなのだが、どこか心の底で「チャリなんかに乗ってるヤツはガキ」と見下していたのである。

今思えば恥ずかしいほど、実に幼稚な思考であった。

そんな幼稚な思考もあって、自分より年上のおじさん/おばさんが車でもたついているところを見ると

「ったく、さっさと行けよ!」

とか

「邪魔だ、ジジイ!」

とヘルメットの中で毒づくことが日常茶飯事であった。もう完全にヤカラである。

免許を取るまでは、道路を走れるのは「免許証」を持っている大人だけで、それだけで車やバイクを運転する大人を尊敬の目で見ていた。

しかしいざ自分が免許を取って路上に出てみると、運転が下手な人間が多いではないか。

右折できるタイミングなのに行かなかったり、制限速度を大幅に下回る速度で走っていたり。

免許取り立ての新参者の自分でも簡単にこなせることをできない大人たちがいる、ということで公道での運転を完全にナメていた。

ある日、死にそうな目に遭う

ある日スクーターで友人宅へ行くとき、信号が青から黄色に変わってから交差点に進入した。

信号が黄色に変わっても「あの信号は黄色が長いからまだ大丈夫」と思って50km/hぐらいで交差点に進入したのだ。(原付なので50km/hはもちろん速度違反である)

交差点に進入するかしないぐらいで赤信号に変わり(この時点で信号無視である)、交差点通過中に今度は左から見切り発車したトラックとあわや接触しそうになったのだ。

トラックは僕に気づいて急ブレーキをかけたものの、僕の進行方向を完全に塞いでいて、僕は辛うじて対向車線側に逃げてトラックを避けることができた。

対向車線に車がいなかったことが不幸中の幸いであったが、もし対向車線に車が止まっていたら僕は正面から突っ込んでいただろう。

このことは、

・僕がまだ間に合うと思ってほぼ信号無視に近い形で交差点に進入した

ということと

・交差点左側のトラックが赤信号なのに見切り発車してきた

ということが重なったヒヤリハットである。

その瞬間は「もうダメかも」と思ったが、幸運にもどこにも接触せずに済んだ。

しかしその直後に、それまでに味わったことがないような恐怖が襲ってきて、体が震えて運転出来なくなったのである。

震えが収まるまで路肩で止まりながら、なんでこんな目に遭うのかを考えた。

・俺みたいなタイミングで交差点に進入するのはよくあることなのに(自己を正当化)
・相手も見切り発車しているのだから相手も悪い(責任転嫁)
・運転が上手い俺がこんな目に遭うなんてそもそもバイクって危ない乗り物なんじゃないか?

今思えば随分身勝手な思考である。

そう考えるうちに震えも少し落ち着いてきて、その時ふと思ったのだ。

・いや、中には何十年も乗っているのに無事故の者もいる
・その者と俺は何が違うのだろうか
・もしかして、自分の運転が事故をおびき寄せているのでは?

特に3番目の「自分の運転が事故をおびき寄せているのでは?」という仮説は、運転に自信があると自惚れていた自分には思いつきもしなかった視点であった。

自惚れている人間は「自惚れていること」を自覚していないので、誰かに注意されるか、自分で気づくしかない。

短気は損気

思えば、それまでの自分はかなり短気な性格で渋滞や行列が大嫌いだった。

ほぼすべての交差点で、強引に車の間をすり抜けして車列の先頭に出るのは当たり前であったし、自分の前に歩行者の横断が終わるのを待っている左折車がいるとすぐにイライラして、左折車の右側を対向車線に膨らんでまで直進しようとしていた。

渋滞に巻き込まれれば、路肩を走ってガソリンスタンドやパチンコ店に入る車に巻き込まれそうになったり、右側の対向車線を走れば対向車に正面衝突しそうになったりと、大半のヒヤリハットは自分の短気に起因していることに気がついたのである。

運転技術と安全技術は異なる技術

バイクを高速でコーナリングするとか、狭い道路でもサッとUターンできるとか、低速走行が上手にできるといった操縦技術は、もちろん路上で役に立つものであるが、それができると安全なのかと言えばそうではない。

先にも述べたように、左折車が横断歩道で止まっている右側を何も考えずに追い抜けば対向車と接触する危険があるし、渋滞しているからと言って路肩を走れば左折車に巻き込まれる危険を孕んでいる。

バイクで事故に遭わないためのテクニックとは?事故を遠ざける運転のキモはこれ!
僕は16歳で初めて原付免許を取得してから、もう30年以上もバイクに乗っているが、幸いにも今まで歩行者/自転車/自動車との接触事故を起こしたことがない。僕が今まで事故を起こさなかったのは単に運が良かっただけではない。無事故を継続してこれたのに...

むしろ操作技術よりも、どういった運転や状況判断をすると危険なのか?を知ることが重要だと気づいたのだ。

リスクをコントロールする運転をしよう

このままこんな運転をしていたらいつか大きな事故に遭ってしまう…と思い始めたのが、確か16~17歳ぐらいの頃だったと思う。

自分なりに分析してみると、運転中にヒヤリとするのはイライラして起こした運転行動に起因していることに気づいた。

・渋滞や信号タイミングでイライラする
    ↓
・短絡的に解決しようとする。(無理な追い越し、路肩走行)
    ↓
・危険な目に遭う

大体このパターンである。

つまり、無理な追い越しや路肩走行がヒヤリハットの一次原因であるが、そもそも無理な追い越しや路肩走行をしようとするきっかけが短気からくるイライラで、これが根本原因であったのだ。

イライラはどうやって克服するのか?

ではこの「イライラ」はどうやって無くせるのだろうか。

そのためには「なぜイライラするのか?」を徹底的に掘り下げることで、そのイライラの原因が「実はしょうもない小さなこと」であると認知することが重要だ。

1.お釈迦様の目線になる

例えば、前の車が車庫入れしようと左に寄せて止まったとしよう。

とは言っても、対向車線にはみ出さないと追い越しできず、対向車線からは車が途切れなくやってくる。

後方の車の渋滞にお構いなしに、実にゆっくり車庫入れしているのを見て募るイライラをどうやって鎮めるといいのであろうか。

そういうとき、僕はこう考えるようにしている。

  • 「運転している者は年寄りなのだろうか。しょーがねーなー、自分もいつかそうなるしな」
  • 「周りに迷惑を掛けていることわかってゆっくりやっているのだろうか。しょうがないなぁ」
  • 「運転が下手でゆっくりバックしないと入れられないのかも。しょうがないよね、下手なんだし」
  • つまり、イライラするのは相手と同じレベルだからであって、気を大きくもって多少相手を下に見ることでイライラしなくなるのである。

    「気を大きくもって相手を下に見る」とは例を挙げると、

  • 子を見る親の目線
  • 部下を見る上司の目線
  • 大衆を見るお釈迦様の目線
  • という目線である。

    このような目線で物事を見れば大概のことは許せるようになる。割り込んだとか煽られたとか実に小さいことだな、と。

    「お釈迦様の目線」なんてバカバカしいと思うかもしれないが、一歩引いて物事を俯瞰すると、大抵の感情的な諍いごとはしょうもないことだと感じられるであろう。

    決してふざけて言っているのではない。

    声に出してこんなこというと頭のおかしい奴と思われるが、心の中で思う分にはかなり有効な感情コントロールである。

    2.弱い犬ほどよく吠える

    気持ちをおおらかに持つためには

  • 強引に割り込んでくる者やイライラしている者を「残念な者」と考える
     (それだけであなたはその者より精神的に一段上にいる)
  • 煽ったり強引な運転をする人間は器が小さい
  • と思うことだ。

    自動車やバイクは、乗る者を錯覚させるところがある。

    当たり前だが自動車やバイクは普通の人間には出せないスピードや力を持っている。

    つまり、車やバイクを運転するということは自分の力を機械によって増幅させていることに等しく、それを自分の能力と勘違いしてしまうのである。

    言うなれば生身の体では敵わないがガンダムに乗れば無敵になれる、みたいなものだ。

    車に乗ると性格が変わる者や強引な運転をする者はほぼ間違いなく人間が小さい。体が小さいのではなく器が小さいのである。

    ニュースで見かけるあおり運転で逮捕される人間を見ればよくわかる。

    車を降りた状態では何も出来ないので、車という自分の力を増幅できる機械に乗ると自分が強くなったと勘違いして運転が横暴になるわけである。

    …なんかそれってカッコ悪くないか?

    なので、割り込まれたり煽られたりしたときはイライラするよりも「あぁ、なんか残念なバ○が強くなったと勘違いしちゃってるのか…」と思えば、そんなに腹も立たない。

    この考え方は社会生活でも使えるテクニックである。

    あなたの会社にもいないだろうか。

    沸点が低くてすぐに怒鳴ったりする者や机を叩いて怒鳴る人間が。

    それほど気が弱くなくても、人は大声で怒鳴られるとかなり委縮してしまうものであろう。

    そんなときでも、

  • 弱い犬ほど良く吠えるというが、この者は何をそんなに怯えているのだろうか。
  • 自分の感情すらコントロール出来ないこんな人間が上司とは、情けないなぁ
  • と思うようにすれば、相手より精神的に優位に立つことができる。

    事実、しょっちゅう大声で怒鳴る者は自分の感情をコントロール出来ない者であるため、その時点で欠陥人間なわけだ。

    ヒヤリハットを0にする

    それまでの僕は、バイクで一日出かけると家に帰ってくるまで1~2回はヒヤっとした経験をしていた。

    路肩走行で巻き込まれそうになったりとか、すり抜けして車に挟まれそうになったりとか。

    それを「イライラを鎮める思考」によって無理な運転が少なくなり、ヒヤリハットする機会が激減したのだ。

    そこで次は「家を出てから帰るまでにヒヤリハットを0にする」という目標を立てて運転するようにした。

    ヒヤリハットを意識するようになると、当然0だった日は「よかったね」なのであるが、ヒヤリハットがあった日は、なぜそのヒヤリハットが起きたのか?と自己分析するネタになるのである。

    つまり、

  • ヒヤリハットを0にするように心がける
  •    ↓

  • それでも時々ヒヤリハットが起きる
  •    ↓

  • その原因を分析する
  •    ↓

  • ヒヤリハット事例が蓄積される
  •    ↓

  • 自分の経験になる
  • という好循環が生まれるのだ。

    これによってヒヤリハットの事例が溜まってくると「焦りや怒りの向こうには悪魔(事故)が待っている」ことがわかってくる。

    イライラしたときやムカっとしたときは即座にアクションを起こすのではなく、一呼吸置いてから「そのアクションを起こすとどうなるか?」と考えられれば、自ら事故に向かっていく行動を避けられる。

    意識次第でヒヤリハットは0にできる

  • ヒヤリハットの原因は短気な性格、イライラが原因である
  • イライラしないようにするには気を大きく持つことだ
  • 強引な運転をする者は「残念な者」と下に見れば、腹も立たない
  • ヒヤリハットを0にすれば事故は自ずと遠ざかる
  • 僕はこの「出発してから帰宅するまでヒヤリハットを0にする」という思考をするようになってから、安全運転の意識をかなり高めることができた。

    「ヒヤリハットを0にする」ということが事故を遠ざけて、結果的に30年以上の無事故を重ねられたのだと考える。

    警察が言う「安全運転に努めましょう」は漠然とし過ぎている。

    まずは出発してから帰宅するまでに「ヒヤリハットを0にする」ことを、言葉は悪いが「ゲーム感覚」で取り組むことをオススメする。

    コメント

    1. ギャリソン より:

      素晴らしいです。みんなそういう思考で乗ってくれると嬉しいですね。

      • mick mick より:

        ギャリソン さん

        コメントありがとうございます!
        共感いただけてうれしいです。

        お互いに安全運転でバイクライフを楽しみましょう!
        これからも当ブログをよろしくお願いします。

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