

今回はそのときに出てきたSUZUKI Hiの話。
1980年代は高校生に「バイクを買わせない、運転させない、免許を取らせない」という、いわゆる「3ない運動」が真っ盛りだった。
それもこれも、1970年代にオートバイでやりたい放題だった団塊の世代のとばっちりで、高校生からバイクを遠ざける社会運動の機運が高まっていた時代。
そんな空気にも関わらず、僕の学校は奇跡的に通学用として90ccまでのバイク通学を許可する学校であった。
もちろん、公共交通機関が不便なところからの通学に限られていたが、そもそも市内を通過するJR線(当時は国鉄)は二時間に1本しか走っておらず、大部分は自転車かバイク通学であった。
SUZUKI “Hi”との出会い
学校までは自宅から直線距離で約10km、途中に信号は2カ所しかなく、しかも通学路にはスーパー農道という、路肩に農作作業車を止めても十分大型車が通行できるほどだだっ広い道路が拡がっていた。
当然、僕はバイク通学対象ではあるが、ウチの家庭はそれほど裕福では無く、スクーターとは言え新車を買うのは難しい。
当時は原付50ccスクーターは山ほど走っていたので、中古スクーターを探すしかないかなと思っていた。
そんなところに、僕の兄が通学で使っていたRG80を譲ってくれるという話が転がってきた。
兄は車の免許を取り、家の軽トラックに乗るのでもう乗らないという。
譲ってくれるのは有り難い。しかし結構ボロいRG80Eを修理して乗るのもなぁ…と思いながら、とりあえず近所のバイク屋に2ストオイルを買いに行ったところ、そこの親父さんに
僕:これでもいいんだけどボロくてね、もう少し新しいのに乗ってみたいけどお金も無いし…
と言ってたら、
という。
なんでも、買い物用の軽くて取り回しのいいスクーターを探していたおばさんにHiを売ったところ、アクセルの反応が凄すぎて、発進時にウィリーしそうになるらしく、怖くて乗れないと返品されたのだそう。
実際にはHiを下取りして、YAMAHAサリアン(宮崎美子がCMしていた)を買い直したらしい。
兄のRG80Eもここで購入したし、外観はボロいが整備は全部ここでやっていた。
Hiを6万円、RG80Eを4万円で下取りするので差額の2万円でいいよ、という。
2万円であればバイト代で払えるので交渉成立。
ここの親父さんは同級生のお父さんということもあって、何かと気に掛けてくれるのが有り難かった。
クレージースクーターの名に恥じない走り
そもそも、このSUZUKI Hiは新車価格でも10万9千円という、今では信じられないくらい安かった。
というか、当時の原付は「自転車の代用」みたいな位置づけだったので、新車で「10万円台」というのは各社の勝負ラインだった。今で言う電動アシスト自転車みたいな感じに近い。
それが中古とは言え、走行距離50kmで6万円で入手できたのはラッキーだった。
50ccで6.5psといえばそんなものか、と思うかもしれないが、リッター換算で130psのモンスターバイクである。
まぁ2ストロークなので単純に1000cc換算するのは乱暴だけど、でも体感すると納得できる。
普通に発進時にアクセルを少し粗く開ければ、簡単にフロントアップするのだ。
確かにこれじゃ、ちょっと買い物に…なんて使えないのがよくわかる。そのくらいの暴れ馬である。
しかもタイヤが10インチで、これで直線で80kmは慣れないと相当怖いのだが、いざ乗りこなすとそのクイックな特性で峠道では最強だった。
しかも車重が48kgである。パワーウェイトレシオが半端ないのだから、最狂という名もあながち言い過ぎでもないのだ。
このHiに出会ってからというもの、ほぼ毎日乗り倒した。
新車価格10万円ではお釣りがくるぐらいの体験をした。
外装が安っぽくて、卒業間際にはかなりボロボロだったけど、最終的には3万km以上走った。
最後のほうはピストンリングの摩耗が大きかったのか、だいぶ白煙を上げながら走っていた。
通学よりも遊びに使う方が多くて、バイト代の多くがガソリン代と2ストオイル代で消えていたと思う。そのくらいよく走った。
当時はジョグやタクトがライバルだったけど、車重が軽くて一つ頭が抜け出ていたのがSUZUKI “Hi”だったと思う。



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